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小兵アイザイア・トーマス サンズのエース! [スポーツ NBA]

僕の好きなチームの一つに、フェニックス・サンズがあります。

古くは1990年の日本でのNBA開幕戦の、サンズージャズを観に行ってからのファン、当時は現ヘッドコーチのジェフ・ホーナセックがシューティング・ガードのスターターでしたね(良い選手でした)

代々木体育館に、はるか遠くの田舎から夜行便で観に行ったのです。

プログラム売り場に行った僕は、そこで初めてレジェンド島本和彦さんにお会いして、ジェフ・ホーナセックのサイン入りプログラムを購入したのでした。

それ以来、島本さんとの交流が始まり、その後はNBA観戦ツアーでもお世話になるのです


島本さんとのお話はまた後日ということにして、今日はサンズの小兵、アイザイア・トーマスについてのお話です。


かつてのスーパースター、バッドボーイズ軍団―デトロイト・ピストンズを優勝に導いた小兵アイザイア・トーマスと同姓同名のアイザイア・トーマス。
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身長は175cm、本家?元ピストンズのトーマスより約10cmも低い、ホンマもんの小兵です。

2011年のドラフトでは2巡目60位指名―ということは最下位指名ですよ。


運動能力は素晴らしくも、小さいということで評価も低いものだったのでしょう。

最下位でキングスに指名され3年間プレーし、11.5、13.9、そして3年目には20.3まで得点を伸ばしてきた、「ハートでプレーする」男。

リーグで5人しかいない20得点、6アシストをクリアした男。

2014年3月18日には24得点、11リバウンド、10アシストというトリプルダブルを史上最も低い身長で達成した男。

我々日本人プレーヤーにもある意味希望の星となり得る選手です。

実際、現在テキサス・レジェンズというDリーグでプレーし、将来NBA入りを目指す冨樫選手に、小さい選手から学べ、という指令が有り、彼のプレーを見て勉強したという話ですよ。

それだけ、小さい選手のとっては手本となるべき選手なのですね。

現在は15.5得点でサンズの得点リーダーとなっていますが、リザーブですから出場時間は平均23.6分という限られた時間でのプレーとなっています。

例えばこれがスターターで40分位の出場時間であれば、26得点平均くらいのアベレージとなり、今期であれば得点王も狙えるくらいの素晴らしい成績となるのです。

彼と同じようにリザーブのジェラルド・グリーンも出場時間が20分位ですが、平均14.8得点と、二人で試合を変えられる驚異のベンチメンバーとなっています。


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実際、先日は第4クウォーターにふたりが爆発して勝利しましたから。

彼らは試合の流れを変えられるプレーヤーとして期待されていると思いますし、その役割を果たしていますね。

そして、彼とドラギッチ、ブレッドソーのバックコート陣は、地味ながら他チームにとっては驚異の布陣となっていると思いますよ。

我々日本人プレーヤーにも希望の光を与えてくれる、アイザイア・トーマスに声援を送りたいと思います。


WOWOWOでも、もっとサンズのゲームを放映してもらってトーマスのプレーやグリーンのダンクを観たいものです

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NBAドラフト 史上最高の当たり年 1984 [NBA ドラフト]

24日、WOWOWでNBAドキュメント華の84年ドラフト 歴史に刻んだ伝説の黄金世代 という番組を観ました。

84年の他にも96年だとか、レブロンが指名された2003年だとかいろんな説がありますが、我々ちょっと上の世代には確かに84年が一番のドラフト当たり年だという思い入れが強いですね。

1位指名、アキーム・オラジュワン 3位 神様、マイケル・ジョーダン、4位 サム・パーキンス、5位 チャールズ・バークリー、その他にもアルビン・ロバートソン、オーティス・ソープ、ケビン・ウィリス、マイケル・ケージ等、そしてなんと16位であの、ジョン・ストックトンがユタ・ジャズに指名されて入団したことは有名な話です。

当時無名のストックトン、まさかNBAのドラフトに指名されるとは夢にも思わず、自宅で見ていたといいます。
「まさか自分が」という驚きだったそうですね。

今では母校のゴンザカ大学からはアダム・モリソンや現役のオースティン・デイ等、何人かのプレーヤーが出ておりますが、当時は「ストックトン大学のゴンザカか?ゴンザカ大学のストックトンか?」と言われたのは有名な逸話ですね。


今ではドラフトもNBAで大きなイベントの一つとなり、指名が予想される選手たちはタキシード等着飾って会場入りし、指名されるとコミッショナーとツーショットの写真を撮り、これからの活躍をアピールし、大きな話題作り・ビッグイベントとなっています。

そして多くのTV放映料もはいるわけですが、当時はリーグからTV局側に金を支払って放映してもらっていたという、なんとも寂しい時代ではありました。

そんな厳しい時代だったNBAが、今こうしてビッグマーケットになったのは、マジック・ジョンソン、ラリー・バードらスター選手の活躍のお陰でしょう。

そして、その後NBA入りしたマイケル・ジョーダン達ですね。

さて、84のドラフトですが、どこのチームも1位指名は当時は文句なくオラジュワンで一致していたようです。

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ヒューストン・ロケッツは前年も1位指名でスターのラルフ・サンプソン(224cm)というセンタープレーヤーを指名していました。
2年連続での1位指名で、サンプソンがいるにも関わらず、オラジュワン指名でした。

後のツインタワーブームの始まりです。

2位指名権を持つポートランドはマイケル・ジョーダンを指名できるチャンスでした!
しかし、結果は、ご存知のとおり216cmのセンター、サム・ブーイをピックしてしまいました。

当時は大型センターがゲームを支配するといわれていましたし、前年に同じタイプのクライド・ドレクスラーを指名し入団させていたので、チームとしては1977ビル・ウォルトンを擁して優勝したその再現を期待して迷いなくサム・ブーイ指名に踏み切ったのでしょう。

これが史上最大の失敗と言われているポートランドの84ドラフトです。

(後にオデンの失敗もありました)

ただ、サム・ブーイもデビューの年は76試合に出場し、平均10.0得点、8.6リバウンド、2.7ブロックを記録、翌年は38試合だけですが、11.8得点、8.6リバウンドを記録しています。
その後は怪我に見舞われ、ニュージャージー・ネッツにトレードされましたが、89-90シーズンには14.7得点、10.1リバウンドとそこそこの活躍もしています。


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まあ、マイケル・ジョーダンの後の指名ならここまで徹底的に叩かれることもなかったと思いますし、悲運だったと同情はしたいですね。

その後のポートランドが念願のファイナルへ二度も行くことができたのは、交換で獲得したバック・ウィリアムス加入により精神的な面も含めてチーム力がアップしたお陰ですね、。

ポートランドは、もしサム・ブーイでなかったとしたら、それでもマイケル・ジョーダンではなくバークリーだったろうということです。

噂話になりますが、ポートランドはサム・ブーイより優秀なセンターが欲しかったためロケッツにドレクスラー+ドラフト2位指名権との交換でラルフ・サンプソンを希望したということです。

結局ロケッツは同意しませんでしたが、成立していればロケッツの2番目の希望はジョーダンだったそうなので、オラジュワン、ジョーダン、ドレクスラーの3人が同一チームでプレー出来たという、とてつもない夢のような事が起こりえた可能性があったわけです!

これはオラジュワンの自伝に書かれている話とのことで、幻に終わってしまいましたね!


もう一つ、ブルズもサンプソンを欲しがっていたそうで、見返りにドラフト3位指名権ということだったので、これがもし実現していたら、オラジュワンとジョーダンのコンビという、これも素晴らしい夢のチームができていたことでしょう!


たら、ればの話になりますが、こうして起こり得なかったことを妄想するのも楽しいことではありますね。

いずれにしても、史上最高のドラフト豊作年である84年のお話でした。



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