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NBAドラフト 史上最高の当たり年 1984 [NBA ドラフト]

24日、WOWOWでNBAドキュメント華の84年ドラフト 歴史に刻んだ伝説の黄金世代 という番組を観ました。

84年の他にも96年だとか、レブロンが指名された2003年だとかいろんな説がありますが、我々ちょっと上の世代には確かに84年が一番のドラフト当たり年だという思い入れが強いですね。

1位指名、アキーム・オラジュワン 3位 神様、マイケル・ジョーダン、4位 サム・パーキンス、5位 チャールズ・バークリー、その他にもアルビン・ロバートソン、オーティス・ソープ、ケビン・ウィリス、マイケル・ケージ等、そしてなんと16位であの、ジョン・ストックトンがユタ・ジャズに指名されて入団したことは有名な話です。

当時無名のストックトン、まさかNBAのドラフトに指名されるとは夢にも思わず、自宅で見ていたといいます。
「まさか自分が」という驚きだったそうですね。

今では母校のゴンザカ大学からはアダム・モリソンや現役のオースティン・デイ等、何人かのプレーヤーが出ておりますが、当時は「ストックトン大学のゴンザカか?ゴンザカ大学のストックトンか?」と言われたのは有名な逸話ですね。


今ではドラフトもNBAで大きなイベントの一つとなり、指名が予想される選手たちはタキシード等着飾って会場入りし、指名されるとコミッショナーとツーショットの写真を撮り、これからの活躍をアピールし、大きな話題作り・ビッグイベントとなっています。

そして多くのTV放映料もはいるわけですが、当時はリーグからTV局側に金を支払って放映してもらっていたという、なんとも寂しい時代ではありました。

そんな厳しい時代だったNBAが、今こうしてビッグマーケットになったのは、マジック・ジョンソン、ラリー・バードらスター選手の活躍のお陰でしょう。

そして、その後NBA入りしたマイケル・ジョーダン達ですね。

さて、84のドラフトですが、どこのチームも1位指名は当時は文句なくオラジュワンで一致していたようです。

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ヒューストン・ロケッツは前年も1位指名でスターのラルフ・サンプソン(224cm)というセンタープレーヤーを指名していました。
2年連続での1位指名で、サンプソンがいるにも関わらず、オラジュワン指名でした。

後のツインタワーブームの始まりです。

2位指名権を持つポートランドはマイケル・ジョーダンを指名できるチャンスでした!
しかし、結果は、ご存知のとおり216cmのセンター、サム・ブーイをピックしてしまいました。

当時は大型センターがゲームを支配するといわれていましたし、前年に同じタイプのクライド・ドレクスラーを指名し入団させていたので、チームとしては1977ビル・ウォルトンを擁して優勝したその再現を期待して迷いなくサム・ブーイ指名に踏み切ったのでしょう。

これが史上最大の失敗と言われているポートランドの84ドラフトです。

(後にオデンの失敗もありました)

ただ、サム・ブーイもデビューの年は76試合に出場し、平均10.0得点、8.6リバウンド、2.7ブロックを記録、翌年は38試合だけですが、11.8得点、8.6リバウンドを記録しています。
その後は怪我に見舞われ、ニュージャージー・ネッツにトレードされましたが、89-90シーズンには14.7得点、10.1リバウンドとそこそこの活躍もしています。


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まあ、マイケル・ジョーダンの後の指名ならここまで徹底的に叩かれることもなかったと思いますし、悲運だったと同情はしたいですね。

その後のポートランドが念願のファイナルへ二度も行くことができたのは、交換で獲得したバック・ウィリアムス加入により精神的な面も含めてチーム力がアップしたお陰ですね、。

ポートランドは、もしサム・ブーイでなかったとしたら、それでもマイケル・ジョーダンではなくバークリーだったろうということです。

噂話になりますが、ポートランドはサム・ブーイより優秀なセンターが欲しかったためロケッツにドレクスラー+ドラフト2位指名権との交換でラルフ・サンプソンを希望したということです。

結局ロケッツは同意しませんでしたが、成立していればロケッツの2番目の希望はジョーダンだったそうなので、オラジュワン、ジョーダン、ドレクスラーの3人が同一チームでプレー出来たという、とてつもない夢のような事が起こりえた可能性があったわけです!

これはオラジュワンの自伝に書かれている話とのことで、幻に終わってしまいましたね!


もう一つ、ブルズもサンプソンを欲しがっていたそうで、見返りにドラフト3位指名権ということだったので、これがもし実現していたら、オラジュワンとジョーダンのコンビという、これも素晴らしい夢のチームができていたことでしょう!


たら、ればの話になりますが、こうして起こり得なかったことを妄想するのも楽しいことではありますね。

いずれにしても、史上最高のドラフト豊作年である84年のお話でした。



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